240402 雑記

鼻から入ってくる空気がぬるくて、そういえば春ってこんなだったと思う。春には春らしい浮かれ方をしてしまうな。冬は気付いたら突っ走っているけど、春は動き回りたくてじっとしながらむずむずする感じ。これまでいろんな春の夜を過ごしてきた記憶がぼんやりと思い出される感じ。具体的に何とかは、野暮な気がするから考えないけど。

趣味が恋で、恋の季節は冬だと思ってるから、冬になると気が狂って走り回ってしまう。寒い季節が好きで仕方ないのに、好きな季節を聞かれると春って即答してしまう、やっぱりあったかくてみんな過ごしやすいのが一番良い。花も咲いて嬉しいし。桜もそうだけど、道端の花壇の花とか、いっぱい咲いてるとめちゃくちゃ嬉しくなってしまう、この感性は学生のときとはまた違うもののような気がして、新鮮でそれもまた嬉しい。

 

わたしらしさの感じ方が昔と変わった。負けず嫌いで普通になりたくない(みんなと同じになったら不出来なところばかり見えそうでそれが怖い)と思っていた。最近は、人と関わる中で、それぞれと似ているところがあって違うところもあって、そういう人と同じだったり違ったりする部分の集まりとしてわたしをわたしらしいと感じる。いろんな場所を経て、少しずつ世界を切り拓いていって、世界にはこんなに人がたくさんいるんだって窓の数だけ数えてたって思うから、オリジナルなことができるような特別な才能?みたいなものには期待しなくなった。でも反面、芯にあるものとあとのバランスが唯一無二で全く同じ人っていないなと思えるようになった。もっと自信を持った振る舞いができるようになりたい。自分のことを信じてくださいと人に伝えられる程の自信。わたしは自分のことがずっと昔から大好きで最高の人間だと思っているけど、人から見てどうかという話になると途端に自信がない。信用を積み重ねたい、誰からも失望されたくない。

 

今やってることが本当に自分の意思でやってることなのか、とか外野は考えちゃうことがあるけど、たぶん本当の自分の意思とかいう話をするのがそもそも間違ってて、環境とか当人の性格とか、瞬間瞬間の感情とか、全部まとめてその人なんだと思う。組織的に知らんぷりして人のこと搾取することは悪だと思うけど、でも結局当人がやりがい持って楽しく過ごしてれば良いんじゃないかみたいな。古いのも新しいのも、宗教とかって大体そういうもんだし。人の幸せを祈ることだけが本当に本当だと思う。

 

仲の良い友達と会う頻度がかなり落ちたけど、それでもたまに話す内容がめちゃくちゃ濃くなっている気がしていて、とても嬉しい。23にもなると(全然まだまだ若いけど!)いろんな人を見ていろんな人と付き合って、いろんなことを考えるようになるよね。みんなそれぞれの生活を心から応援している。幸せになってほしいみたいな他人事っぽい言い方したくないし、もっと積極的にわたしが関わっていたいと思うけど、その価値がなさそうな人(とかいう判断をわたしがするのも傲慢な話なのだけど、実際そう思う相手は結構いる、わたしがいない方が相手が充実するだろうという意味で)だっている。そういう人とは大人しく距離を置いて、たまに最近考えていることとか話せると良いなと思う。 

 

人との縁が切れることについて、つい最近仲の良い女友達の元彼に新しい彼女ができたみたいな文脈で考えることがあった。一瞬でも関わり合った人全員と細くても長く関わっていたいと思う反面、わたしよりも大切にしたいと思う人が相手に現れた場合すっと身を引くべきと思う。人間関係ってめちゃくちゃ流動的で、そのくせ誰のことも誰にも代えられない部分があるから難しいけど、そういうのってタバコと同じで強いきっかけさえあれば全然乗り越えられると思う。