231228 雑記

冬休みがないせいか、あまり年末という感じがしない。仕事をしているとお年玉の準備をしている人が大勢いるし、毎日のように取引先からお菓子をもらっているし、カレンダーを配ったりもらったりしているから年末だなあとは思うのだけど、どれも新鮮すぎて、気付いたら28日になっていた。部屋を片付けないと。

 

日舞を一時再開したので30代や40代のお姉さんたちと関わることが多い年だった。厳しい世界だから、段違いに気が利いて仕事のできる人ばかりでたくさん刺激を受けたしこうなりたいと思うことが多かった。昨日、高校を卒業してからずっと稽古に行けていなかった生け花の先生のところにお正月飾りのお使いに行って、タイミングが良かったので自分で作らせてもらった。先生のアシスタントの人たちと一緒にお正月のお花の手伝いもさせてもらったのだけど、先生はわたしが高校生だったときからずっと道を切り開き続けていて、エネルギーの色が会う度に違っている。大きい変化でいうと、ずっと一人でやっていた仕事にアシスタントの人たちを加えたこと、結婚したことがあったけど、そういう目に見えること以外でもいろんなことを感じて考えて、挑戦を続けているのだなと感じる空気がそこにはあって、馴染みのスタジオだけど見える景色が全然違っていた。これは一部わたしが大きくなったからかもしれない。日舞お姉さんたちはわたしが小学生だったときから全然変わらなくて、表現者として演劇や踊りを生涯愛する覚悟とか、それゆえの老けなさが魅力的だと思っているのだけど、生け花の先生を見て、やっぱりわたしは変化に富んだ生き方に憧れていると思った!日舞をはじめ舞台芸術をやる人がほとんどそれ一本ではやっていけなくて別な仕事をしているけど、先生は仕事としてお花をやっているし、それで豊かな生活をしているところにも惹かれるのかも。様々なタイプの憧れのお姉さんがいるのってとても幸せなことだ。いろんな人と関わることで人生が豊かになると信じていることは昔から変わらないな。わたしってずっと人生のことを考えている。

 

人との関係を維持するのには大きなコストがかかるし、人一人の時間とかお金といったリソースには限界があるから、実は人との関係維持って結構大変なことで、でもそれで得られるものも莫大だから、わたしも例えばお歳暮を贈って年末の挨拶をしたり、年賀状を送って年始の挨拶をしたり、そういうことをしていきたい。大学に入ったとき実家を出て、社会人になって親からの支援も控えめになってやっとそのことに気付いた。好きな人たちとはずっと繋がっていたいし関わっていたい。給料は有限だからできることも有限だということは社会人になってから気付いたことのひとつだけど、関わる人に優先順位をつけて選ぶことも必要らしいな。ずっと人間全員と仲良くなりたいと思っているけど、世界を良いものにして自分を輝かせるためには選択も必要だということ、少し残念だけど楽しい活動だろうと思う。もちろん世界の大きさはどんどん広げていきたくて、そのためには自分のキャパを広げていかないといけない。どうすれば人間全員と仲良くしていられるかなー。会社で毎日顔を合わせるとかでもないのに、本当に長い間一緒に仕事している人とか仕事をくれる人がいる父と母はめちゃくちゃすごいんだな。

 

今日、仕事中にトイレに行ったときにふと、自分は良いことと悪いことのバランスが常に釣り合うように世界ができていると思っているのだということを考えた。世の中には悪いことばかり起こると思っている人も、良いことばかりが続いているラッキーな人もいるし、あるいは良いこととか悪いことは完全にランダムで起こっていると思っている人もいる。だから、わたしの感覚ってとても宗教的で信仰的だと思った。特に政治とかの分脈では、ノンポリでも全ての起こってほしいこととか起こってほしくないことのそれぞれが思想なのだと言う人がいたりするし実際そうだと思うけど、この土地には宗教が強く根付いていながら自分の信じている("常識"的な)ことに自覚的な人ってどのくらいいるのだろうかと思った。信じる神がいなくても、世界を動かしている道理というのはみんなそれぞれ信じているものがあると思うし、他人のそういうことに興味があると思った。20歳くらいのとき、自分の行動原理ってなんなのか不思議に思って、人のそれを尋ねて歩いていた時期があって、そのときって毎日が面白かったから、今度は人がどういう風に世界を認識しているか尋ねて歩くようにしてみようかな。あなたは何を信じていますか?お酒でも飲みながら、聞かせてほしいよ。